6 5under God under God1950
はじめまして。「パソコン通信」華やかなりしころ、れんこんネットと「れんこん」の存在は知っていましたが、参加はしていませんでした。 ちょっと前の東海原発の臨海事故の時のことですが、都内在住のあるライターが「放射能怖い」といって、しばらく大阪に逃亡していました。 私は一応物理学科出身なので、あの事故で出てそうな放射能と東海村から東京の距離を考えると、「まあ、大丈夫だろう」と思っていましたが、理科系の素養のない人たちが結構、無根拠に怖がってるのに驚かされました。「死の灰」や「黒い雨」の類とごっちゃにしている人も結構いましたし。 そんなわけで、お手軽にパソコンのUSBポートなりシリアルポートなりに接続できて、リアルタイムで放射能、ついでに紫外線量(これもオゾンホールなどと関係がありますし)を測定できて(GPSと組み合わせて位置情報とも組み合わせられればなおよし)、たとえば10分に一度か一時間に一度、日本中、できれば世界中の各地の線量を収集するようなシステムを作ってみたいな、と考えています。素人さんが無意味に怖がったり無意味に安心しないためにも、まずデータ、って感じで。 ご意見いただけるとありがたいです。 なお、私の個人Webサイトは http://www.pp.iij4u.or.jp/~miwachan/ です。 今後ともよろしくお願いします。
8/10~12 もしくは 8/17~19 あたりでしょうか。9日が新月ですけど。 zippさん決めていただけると調整しやすいです。
実はまだ決まってません。 明日からキャンプにも入る予定でしたが(昨年から芦浜ファン?)、中止になりました。 でっ、予定はやっぱ、お盆周辺になりそうです。 昨年は、サカキバラ関係(って云っても神戸の事件かんけいせないよ!)ダイスケ・ヒロキ関係 からの人、名古屋の語学・料理関係と伊勢熊野のカヌ-関係?の人での芦浜キャンプでした。 おほ!忘れてた!!佐藤工務店親子!!!! 荷物の運び手がいなくて苦労下のだった(;_;)
加納です。 私もそう思ってました。>芦浜。 行ける日程なら行きたいです。自分の日程を決めていませんが。 ただ、行くとなると家族に反対されそうな気はしますが。。 一昨年事故ったので。
インパクト出版会から、花崎梟平さん著の最新刊が送られて来ました。 『<じゃなかしゃば>の哲学』という題名の本です。 まだ読んでないんだけど、水俣の方言みたいですね。>じゃなかしゃば 結構面白そうな本なんで、読んだら感想書きます。
>>何やら言葉が新しくなっただけで、特別新しい概念はないような気がするのですがどうでしょう。 >確かに、そのとおりだと思います。 >ただ、名前を得たときに力になることはあるような気がします。 > >たとえば、「障害学」のように。 「名前を付け直すこと」の効用というのは、確かにあるような気がします。 名前というのは、概念の枠組みを指し示すシンボルなので、内容が同じであっても シンボルが変われば、それに対する人々の捉え方、姿勢に影響をおよぼすというこ とはあるんではないか。 ・・・と、サブシステンスという単語を調べてみたけど、「生存」という意味なのね。 そうすると、エコロジーよりはだいぶん哲学よりな感じになりますね。 で、「持続可能な社会」というタームも連想してしまったのだけど、そうなるともう 最近の行政とか、企業の最先端ブリッコに利用されてきている概念ですね。 サブシステンスはまだそうなってないですよね。
もう決まっています?>zipp 昨年、行けなかったので今年はぜひ参加したいです。 ただ、7/26~28は、死刑廃止フォーラムでフジロックフェスに参加するということになっているので、もしその期間だと行けないかもですが。
レジさんWrote; >何やら言葉が新しくなっただけで、特別新しい概念はないような気がするのですがどうでしょう。 確かに、そのとおりだと思います。 20年前にパパラギに書いてあったことと、そんなにかわらない と感じています。 ただ、名前を得たときに力になることはあるような気がします。 たとえば、「障害学」のように。 >それを実現していく方法論がいぜんとして有効なものがないというのも昔から変わってない >ように思います。 それもそのとおりです。 山之内靖さんの岩波新書「ウェーバー入門」は好きな本なのですが、 そこに「転轍機」が働く時期がくることが書かれています。 そんな風に価値観の転換が図られるのかどうか。 小さな取り組みを重ねるしかないという人も著者のなかにはいます。 ま、とりあえず、ぼくは叫び続けるし、歩き続ける、そして疲れたら休む。 それが自己満足であってもいいかなとも、思っています。 こんど、出版記念パーティーをやることになりました。 中村尚司さんがスリランカの平和構築とサブシステンスについて 30分くらい話してくれるそうです。 勝俣誠さんもコメントしてくれるそうです。 7月23日の火曜日の夜。会費は3000円くらい。 興味があったらぼくに連絡してください。 追加 ZIPPさんWrote; >「ダーウィン主義」への逆行 よくわかんないです。
確かに、サブシステンスってわかりにくいですよね。 この概念が本当に有効なのかどうかも自信はありません。 とりあえず、とっかかりとしてどうかと思ったのですが。 日本で一般的になるためには、漢字にしたほうがいいのかもしれません。以下は紹介した「環境を平和学する」からの引用でのサブシステンスの説明です。 ===以下、引用=== 3. サブシステンスにもとづく平和 もともと人類学などで自給自足経済を意味したサブシステンス概念に、本書では次 のような新しい意味あいを込めて用いてきている。 ポランニの影響を受けたウォーラーステインの世界システム論には、中心部が主と して第三世界サブシステンス領域を収奪することにより近代世界システムが成立して きたという理解がある。同じくポランニを源泉とするイヴァン・イリッチおよび玉野 井芳郎らによって、市場経済を相対化しサブシステンスを志向する論も説かれてき た。マリア・ミースらによって、フェミニズムとエコロジーの視角からの「サブシス テンス生産」を基盤にする新しい社会の展望もなされている。 サブシステンスの基本には、第2章で見たように物質代謝(メタボル)としての人間 の生存や自然と人間との循環関係があるだけでなく、人間の生殖(リプロダクション) も当然ながら含まれる。 第1章では、「進化の過程を通じ、人類は自然の循環のなかで永く維持存続が可能 な社会をつくり、生存し続けてきた」ことから、「自然生態系のなかで人間社会を維 持し、再生産していく仕組みがサブシステンス」と説明していた。 人間の本来性、すなわち潜在的実現可能性というものは、放置されて自然に発現す るわけではない。80歳まで生きるはずの新生児が生まれても、放っておかれたらじき に死んでしまう。親・親族・友人・近所の人たち、医療労働者・教育労働者・その 他、周囲のあらゆる人びとが介在し、育み見守っていくことを通じて発育が次第に達 成される。本来性を実現させる人びとの営為の総体とその社会的仕組みとが自然条件 とともに存在し機能することで、本来性は現実のものとなる。そのシステムこそがサ ブシステンスなのだ。 ===引用ここまで=== これは編者の横山さんが4章かどっか(定かでない)に書いたものですが、 ここでの本来性というのは平和学の概念で、本来、80歳まで生きられる人が その可能性(本来性)を奪うのが暴力、というふうな使い方での用法です。 つまり、やみくもな経済成長を求めるありかた(開発パラダイム) から、明確に訣別し、サブシステンスを求める価値観への転換が問 われているということを明確に自覚しなければならない時代に突入 しているように思うのです。 まだまだ、説明したりないとは思うのですが、とりあえずこのくらいに しておきます。 つーた (まあ、あんまり難しいことはわからないし、わかろうとも思わない) (間違ってたら、ごめんって謝ればいいかな。)