はじめまして。>みわちゃん ホームページ見させてもらいました。 なんだかすごい精力的に活動してらっしゃいますね。 これだけPCやインターネットが普及してくると、イカレンのような単体機器ではなくて、PCデバイスのガイガーカウンターがあるだけで、いろいろ面白いことが出来そうですね。 でもどうやってそれを作るかというと・・・レジNさんは海外だし。 ここは日本残り組みで、まずは電子工作講座でもやりますか! ・・・道のりは長い。 ところで。 年の半分を過ぎて言うのもなんですが、今年はちょっとちゃんとしたいところです。 この掲示板、いつまでも「仮」のままでいいのかとか。 良いといってしまえばいいんですが。 近頃なんとなく工作欲があって、つくりたいもの(というほどのものでもないけど)があったりするんで、ちょっとがんばってみようかな。 色々。
芦浜キャンプ、なつかしいなぁー。残念ながら、今年もまた行けそうもありません。これで6年間、ご無沙汰してしまうことになります。柴原さんや社長は、相変わらず元気にやっているのでしょうか? 日本は、やっとワールドカップ騒ぎが終わったところでなんでしょうが、サッカーファンの人は祭りの後の倦怠感の中にいるのでしょうか。私が日本を離れてから5年少々経ったのですが、日本が大きく変わったように見えるところというのは「サッカー非熱狂国」から「サッカー熱狂国」への変貌です。ヨーロッパや南米の国々の熱狂は、それなりに歴史があることなんだろうし、彼らのの熱狂ぶりが「変なの?」と思えてもそれはそれでもう「お国柄」の一部なんだと納得していたのですが、日本もあっという間にそういう「お国柄」を身につけてしまったのは少し驚きでした。 「国民が何かに熱狂する」ということは意外と簡単にできあがってしまうというのは、歴史家の中ではすでに当然だったのかもしれませんが、それを目の当たりにした感じです。その熱狂の中にナショナリズムが色濃く盛り込まれているところがまた恐い、単なるスポーツイベントだと言われても、ただそれだけではあるまいと考えてしまいます。 アメリカが依然としてサッカー熱狂国に仲間入りできなくても平気でいられるのは、すでに強力なナショナリズムを育むシステムはできあがっていて、さらに国を強力に意識させるイベントはもう必要ないのでしょう。 先週、サンフランシスコの連邦高等裁判所が、公立学校で一般に行われている「国への忠誠の誓い」みたいなのをみんなで斉唱することに関して、その言葉に「under God」という言葉が入っているのは、ある種の宗教を子供に強要することであり憲法違反であるという判決が出たのですが、それをめぐってブッシュをはじめとして政治家達はカンカンです。上院は満場一致で判決を非難する決議をあげ、(アフガン攻撃支持決議に一人反対してバーバラ リーもこれには賛成している)下院も反対者3人だけの圧倒的多数で決議をあげています。(シリコンバレーを選挙区とする日系人議員のマイク ホンダは次回の選挙で不利になるのを覚悟で反対したようで、ちょっとこの議員を見直しました。) なんでもその誓いの言葉の斉唱は学校で日々行われる、もっとも高貴で重要な儀式であるらしいのですが、「under God」は1950年代に付け加えられたらしいです。裁判所の判断に対して政治家がヒステリックに反応することの異常さ、そしてそれが圧倒的国民の支持で行われていることの異常さ、この国のナショナリズムは私たちが思っているよりはるかに深くかつ熱狂的であるようです。サッカーの助けはいらないというのは明らかですね。
6 5under God under God1950
はじめまして。「パソコン通信」華やかなりしころ、れんこんネットと「れんこん」の存在は知っていましたが、参加はしていませんでした。 ちょっと前の東海原発の臨海事故の時のことですが、都内在住のあるライターが「放射能怖い」といって、しばらく大阪に逃亡していました。 私は一応物理学科出身なので、あの事故で出てそうな放射能と東海村から東京の距離を考えると、「まあ、大丈夫だろう」と思っていましたが、理科系の素養のない人たちが結構、無根拠に怖がってるのに驚かされました。「死の灰」や「黒い雨」の類とごっちゃにしている人も結構いましたし。 そんなわけで、お手軽にパソコンのUSBポートなりシリアルポートなりに接続できて、リアルタイムで放射能、ついでに紫外線量(これもオゾンホールなどと関係がありますし)を測定できて(GPSと組み合わせて位置情報とも組み合わせられればなおよし)、たとえば10分に一度か一時間に一度、日本中、できれば世界中の各地の線量を収集するようなシステムを作ってみたいな、と考えています。素人さんが無意味に怖がったり無意味に安心しないためにも、まずデータ、って感じで。 ご意見いただけるとありがたいです。 なお、私の個人Webサイトは http://www.pp.iij4u.or.jp/~miwachan/ です。 今後ともよろしくお願いします。
8/10~12 もしくは 8/17~19 あたりでしょうか。9日が新月ですけど。 zippさん決めていただけると調整しやすいです。
実はまだ決まってません。 明日からキャンプにも入る予定でしたが(昨年から芦浜ファン?)、中止になりました。 でっ、予定はやっぱ、お盆周辺になりそうです。 昨年は、サカキバラ関係(って云っても神戸の事件かんけいせないよ!)ダイスケ・ヒロキ関係 からの人、名古屋の語学・料理関係と伊勢熊野のカヌ-関係?の人での芦浜キャンプでした。 おほ!忘れてた!!佐藤工務店親子!!!! 荷物の運び手がいなくて苦労下のだった(;_;)
加納です。 私もそう思ってました。>芦浜。 行ける日程なら行きたいです。自分の日程を決めていませんが。 ただ、行くとなると家族に反対されそうな気はしますが。。 一昨年事故ったので。
インパクト出版会から、花崎梟平さん著の最新刊が送られて来ました。 『<じゃなかしゃば>の哲学』という題名の本です。 まだ読んでないんだけど、水俣の方言みたいですね。>じゃなかしゃば 結構面白そうな本なんで、読んだら感想書きます。
>>何やら言葉が新しくなっただけで、特別新しい概念はないような気がするのですがどうでしょう。 >確かに、そのとおりだと思います。 >ただ、名前を得たときに力になることはあるような気がします。 > >たとえば、「障害学」のように。 「名前を付け直すこと」の効用というのは、確かにあるような気がします。 名前というのは、概念の枠組みを指し示すシンボルなので、内容が同じであっても シンボルが変われば、それに対する人々の捉え方、姿勢に影響をおよぼすというこ とはあるんではないか。 ・・・と、サブシステンスという単語を調べてみたけど、「生存」という意味なのね。 そうすると、エコロジーよりはだいぶん哲学よりな感じになりますね。 で、「持続可能な社会」というタームも連想してしまったのだけど、そうなるともう 最近の行政とか、企業の最先端ブリッコに利用されてきている概念ですね。 サブシステンスはまだそうなってないですよね。
もう決まっています?>zipp 昨年、行けなかったので今年はぜひ参加したいです。 ただ、7/26~28は、死刑廃止フォーラムでフジロックフェスに参加するということになっているので、もしその期間だと行けないかもですが。