>MI-DO-RIさま ふむー、チャントラーはあの通りの店が移転したのかー。 しかし、あの何とか通り(思い出せぬ)、私は銀猫は知らないけれど、 「弁慶」という安い焼き鳥屋にはよく行きました。 よくおまわりさんが飲んでます。浦和って、確か空襲で焼けてないから、あの辺 非常に風情のある街が時に残っているんだよねえ。旧17号の仲町付近なんて、 見るからに今風の都市計画とかけ離れた感じ。 >珊瑚さま ほほー、京山中ですか。こりゃ近い。 私の家の前は京山学区との境界線ですよ~。 …って、うちうちローカル話ですみません>ALL 私の出身校、岡北(こうほく)中と珊瑚さんの京山中は隣接地区の学校なんです。 もともとひとつの学校で、私が小学校4,5年のころ分かれた。当時、 岡北中の正門に、岡北中と京山中の二つの看板がかかってました。校舎建設が 間に合わなかったのかも。 分裂前(笑)のことを知る先生から 「とにかく生徒が増えて大変。1学年15クラスを超え、○年P組とかQ組というのが できたことがあった」と聞いたことがありました。ほんとかなあ。大げさな 先生だったからなあ。
>チャントラーって、昔県庁の裏の通り(なんて言ったっけ?) >にあった店ですか? >もしそうなら、以前よく昼食を食べた気がする。 あたりです。その通り。隣に風情のある蕎麦屋「ぎんねこ」と いうのがありました。 岡山といえば、日本酒で「かもみどり」というのがありますね。 鴨方町のお酒です。おいしいです。
>KJさん 開発ですか?なんだかすごいなあ...なんとなくすごさは感じておりましたが。 でもすみません、ほすととかまるちとか、書いていただいたこと私には 面白いくらいにわかりません(^^;;面白いからいいんですけど(いいのか?)。 「放射性」、偶然としても面白いですね。 「リゾーム」は私も思い浮かべました。 日本では感じられないですか・・・。そうですね、パリにいるから 感じるのかもしれません。特に、私は外国人としているわけですから、 何を見ても新鮮ですし。 以下、今思いついた「動いている」もの。あくまで個人的印象です。 -来年には通貨がユーロに変わる。 スーパーでもどこでも、値札を見るとフランスフランの右に必ず ユーロでの値段表示があります。 フランスのメリットはともかく、「統一される」という感覚がもたらす高揚、 巨大なお祭りに備えてうきうきしつつ、体力を備えておこう、みたいな感じ? すごいことですよね、自国通貨を放棄するというのは! -パリにマクドナルドやチェーンスーパーが増えた。皆英語を喋りたがる。 英語は、インターネットの影響もあるんでしょうか。 若者なんかは、フランス語をださいと思っている節もあるような。 -オーストリアの右傾化で、ユダヤ系の知人がオーストリア国籍を捨て イスラエル人になった。 オーストリアがどの程度危険なのか、正直言って私には理解しにくい のですが、こういう事実がありました。 ネオナチの噂も、時折耳にします。 他にもいろいろあったのですが、また思いついたら書きます。 >P・ブルデューの資本主義批判のパンフレットを読んだのですが、 >その現実感覚にあふれた批判的思考に感嘆しました。 ブルデューといえば、知人の家に遊びに行くと、そこの息子が 高校のレポートの課題本だとかいって "Les trois etats du capital culturel"(文化資本の三つの姿) を読んでいたことがあったので、もはや古典の人かと思っていたのですが、 ちょっと読んでみますと、刺激的ですよね。これで高校2年生に 作文書かせるのか!とあらためて驚き、なんだか羨ましく思ったものでした。
珊瑚さん御返事ありがとうございます。 濃いだなんて失礼なこと言ったかな。でも検索エンジンの威力は凄いですよね。 私は最近 Google をもっぱら使っています。 八王子とか浦和って確かに首都圏から放射状に出ている幹線の上にありますよね。 「放射性れんこん」とは特に関係ないと思いますが、まず八王子にホスト局があって、でもアクティブなアクセス者集団が浦和にいて、当時は市外通話もバカ高かったわけで、なんとかローカルにホストを持ちたいと。 しかも、同じ「れんこんネット」ということでメッセージの交換をしたいということで、インターネットなど別世界の話であったころに、「転送屋」という自動メッセージ交換プログラムをレジN氏が開発し、草の根パソコン通信としては画期的なマルチホスト体制を持っていたのでした。 その後、ホストは03地域にもできて3局体制になったのですけど。 「れんこん」は、90年代に日本でもけっこう知られるようになった、ドゥルーズ=ガタリなどの「リゾーム」概念を彷佛させるものがあると思っていた人もいましたが、それもたまたまだったようです。出典は何か、そういえば良く知りませんが。 「時代が動いている」というの、パリにいると感じるのですか? たまたま、最近、社会学をやっている知り合いのすすめで、P・ブルデューの資本主義批判のパンフレットを読んだのですが、その現実感覚にあふれた批判的思考に感嘆しました。 そういう著作が出てくるような雰囲気があるのでしょうか。残念ながら、まだ日本ではそういった感じがあまり出てきてないと思いますが・・・
恐縮です(^^)。 >KJさん 暖かくお迎えいただいて、濃い辿り着き方をした(^^; かいがありました。ありがとうございます。 そうそう、ヒットしたのは、正しくは「放射性れんこん」 でした(失礼しました)。いいですねー「放射性」「れんこん」。 それにしても、皆様が浦和とか八王子にお詳しいのは、やはり 放射状に広がっているというわけなのでしょうか? >zippさん あはは、海外特派員として、お役に立てれば嬉しいです。 何か面白そうなネタを見つけたらおいおい書きますね。 ちなみにParis在住です。 あ、でも、2週間後には一時帰国の予定なのですが。 >レジNさん 「変える者たちの一人」か。わかるような気がします。 私も、どういうわけか昨今、今までになくうずうずしています。 大げさに言うと、「時代が動いている」のを感じるんですよね。 80年代末期から90年代初頭に青春を過ごした者としてははじめての 感覚です。単に個人的なものもしれませんが・・・。 >もやいさん こちらこそよろしくお願いします。 なんと・・・私は京山中学校卒業なので、 実家はご近所かもしれませんね。ちなみに津島小学校卒業、 29歳です。 大学1年の時は神奈川県川崎市に住んでいて、横浜にはしょっちゅう 遊びやバイトに行ってました。 チャントラーっておいしそうですね!! ココナツカレー食べたい。
もやいです。チャントラーOFF、行けなくて残念でした。 チャントラーって、昔県庁の裏の通り(なんて言ったっけ?)にあった店ですか? もしそうなら、以前よく昼食を食べた気がする。 ある日、その店でのメシの途中に、あるおまわりさんからポケベル(当時は携帯 なんてなかった)で呼ばれて、 白鳥事件の元被告が焼死したことを教えてもらったな(警察は、前科前歴に 関することなので普通の焼死者としてしか発表していなかった)。 店の前の公衆電話で話をしながら、戦後の革命闘争と、 その後のその党の変化と、自分の立場と、焼死という 痛ましい事実と、そしてその事実を警察権力当局者の「好意」で教えられた自分と… ぐるぐると考えながら、しかし夕刊の締め切りに焦っていたのを覚えています。 今はイトーヨーカドーのところになったのかな。 いかん、浦和を離れて6年、すっかりわからなくなってる。 珊瑚さんへ。 わたくし「もやい」は岡山生まれ、現在横浜在住の34歳です。 岡山市立岡北中学校卒。同校で、マラソンランナーの有森裕子と同学年でした。 うーむ、岡山生まれの人ってこっち(関東)にくるとあまりいないなー。 よろしくおねがいします。 もやい。
無事、”凍死”せず帰り着きました。 此方埼玉でも、ヒートアイランド現象を体感できました。 浦和から、R463を使い帰ったのですが。 埼玉大の横を通り羽根蔵橋を越えたら、1レベル気温が下がり。 志木、所沢を抜け入間市の表示が現れ周囲が開けると(茶畑) 一層気温が下がりました。 神奈川と違い、”寒い”と言うより”痛い”(オープンフェース のヘルメットの為、特に顔面が80km/h出すのが限度) 手足の指は、霜焼けには成らなかったものの寸前の状態で (なんか感触が変な状態が続いています。これでもうい一打撃あれば 霜焼けに成りそうです) 体の方は、スパイシーな料理だった為か、寒いと言う感覚はほとんど 有りませんでした。
>旧ネット関係者以外初の書き込みですね、なんか「新生」れんこんネットが >はじめて一歩を踏み出した感がします。 ほうとうですね。 珊瑚さん、「うちわ話」的な感じのボードによくぞ書き込んでくださいました。 私もKJさんが参照した「放射性れんこん」のバックナンバーのページを見に行ってみて、10年前を思い出し、しばし感慨にふけりました。TACさんは、れんこん初期に北八王子界隈にもよく出入りしていた人でした。あの「放射性れんこん」は、まだ第二号で、れんこんが旧メディアと新メディアをミックスさせた活動に乗り出したばかりで、まだまだ勢いがあった時期でしたね。 「重信房子」、「赤軍」といったような新左翼運動の一部分の末路をイメージするようなワードから「れんこん」にたどりついたというのも、あながち意味のないことではないかもしれません。アナーキーなラディカリズムを追求した者達も、レーニン主義にしがみついて革命的前衛建設を試みた者達も、おそらく最初の動機は「世の中おかしい」と思いそれを「変える者達の一人」であろうとしたことでしょう。新左翼運動が閉塞して行きながらも、わずかには生き残っている時代に青春期を迎えた者達は、「変える者達の一人」であろうとする思いを胸にいだき、あちらこちらを漂流し、ふと気が付いたら世の中にはパソコン通信というものが人気を持ちはじめていて、「ここになにかが作れるかもしれない」と思って集まったのが、「れんこん」の産みの親の「第三世界ネットーワーキング」だったように思います。 私は、日本の企業社会の中で人々のコミュニケーションは非常に抑圧されていると思っていましたから、「自由なコミュニケーションツールを提供する、ただそれだけで『変える者達の一人』たるに十分だ」と考え始め、それから「れんこん」にエネルギーを注ぐ事になっていたように思います。 もちろんそういう話は「れんこん」のバックグラウンドに流れていたことであり、表にはパソコン通信という新しいおもちゃで何をして遊ぶかという話題がメインで流れていたと思います。その辺の妙なバランスが「放射性れんこん」のバックナンバーのページを見なおしてもうかがえますね。
チャントラーって美味い! おどろき。 近年増殖してきたちょっと首を傾げざるを得ないタイ料理屋とは明らかに一線を画した味ですね。 また行きたいなあ。 しかし、「メコン」がラム酒だって初めて知った。ていうか昔はRUMなんて表示はしてなかったように思うが。 メコンのソーダ割は大変よろしかった。あまり悪酔いもしそうでないので、できれば日常的に飲みたいものです。 落ち着いた雰囲気だったのでお話もいろいろできましたね。 あ、いまいさんとMI-DO-RIさんがよく行っているというワイン通の店にもぜひ。
おいしかったっす。 参加者:KJ・EGGS・つーた・HIGH・佐藤工務店・ いまいまい・どいの・時折旬・MI-DO-RIの9人。