「思想、倫理観、人格」となるとレンジ広すぎ、と言われれば確かにそう。 それに対する成果物の方も、芸術的なものとフォトジャーナリストのものではかなり差がある。 ここは一旦抽象化してみよう。 h: 全ての属人的要素 a: 対象の人が行う行為 p: その行為の結果残るもの(作品、文書、記録、等々) 価値には2種類あって、 Va: 行為そのものに伴う価値 Vp: 残ったものの価値 Va + Vp がその対象の人が残した総合的な価値になる。 Vaはhの関数であろうが、hと独立した価値がそこにあるというのはあまりありそうにない。 しかし、「念仏をとなえる」とかいうのを考えるとどうだろう? どんなに悪人であろうと、「念仏をとなえる」ことはそれそのものに価値がある、 ということもあるか? とりあえず、定数Caをつけておいて Va = Fa(h) + Ca としておこう。Caはゼロか、かなり小さいだろう。 Vpの方は、hとaの関数で、それらと独立した価値が定数としてあるだろう。 Vp = Fp(h,a) + Cp もう一つ重要な要素として、時間という変数がある。 マヤの遺跡には単に考古学的価値を越えた芸術的価値も十分あると思えるが、 Fp(h,a)の項など類推のしようもなく、時間とともに消滅したと考えるしかない。 厳密にはCaやCpも時間の関数でCa(t), Cp(t)となるであろうが、単純化するためにそれは無視して、 Va = Fa(h,t) + Ca Vp = Fp(h,a,t) + Cp としよう。 hというのは、読心術の様な超自然的観察力でも肯定しないことには、不明であり、 実際には、それはa,pから類推しているにすぎない。 とりあえず、それも単純化のために、類推されたhを変数としてつかえることにしよう。 (hはaの関数で、aはhの関数というrecursiveなことになって実にめんどくさい。) 準備ができたので、広河・土井問題に進もう。 まず、広河さんのVaはあるか? 「パレスチナに取材に行く」 この行為そのものに価値があるのは、 「虐げられた弱者に対する強者の横暴は許せない」という動機に基づいた行為であるが ゆえであり、その動機が実は違ったということになれば、その価値はゼロあるいはマイナス にもなりかねない。 Va = Fa(h,t) + Ca において、hの中に「神格化された自己の権威を利用してレイプをすることをよしとする」 というのがあれば、Fa(h,t)は大きな負の値にしかなりえない。 Caはあっても非常に小さく、広河さんのVaがプラスになることはありえないと思う。 次に Vp = Fp(h,a,t) + Cp を考える上に置いて、pは広河さんが残した写真や文書ということになるだろう。 ここで「Cpはそれなりの正の値をとりえる」というのが、私が前回書いたことになる。 その時、Fp(h,a,t)がどれくらい負の値になるかに関する検討はしていなかった。 ここでもまた、 hの中に「神格化された自己の権威を利用してレイプをすることをよしとする」 という要素が入ってきたら、Fp(h,a,t)はかなり大きな負の値であろう。 ただし、これは時間とともに変わり得る。 広河さんの謝罪が被害者に受け入れられる様なことがあれば、大きな負の値からゼロに 近づいていくだろう。 結果的にVpが正の値になることは将来はありえる。 ただし、現時点ではまだまだ負の値であろう。 土井さんは、 * VaとVpをはっきり分けて考える。 * 時間というものを重要な要素として考慮に入れる。 こういうことを考えず、「大義は防衛されなければいけない」という意識だけが先走った 書き方をしているように思えるし、それでは多くの人から反発を受けて当然であろう。 いかなる場合でもCaやCpを冷徹に見つめて、それをないものにしてはいけない。 ということであれば、それはそれで十分理解できる。
レジさんの理解についてはほぼ同意できる気がします。ほぼというのは、 >ある人の思想、倫理観、人格といった、そういったようなものがどこまでその人の残した成果物を規定してしまうかという、そういうところの話 というのは大枠そのとおりと思うけど、「思想、倫理観、人格」となるとレンジ広すぎで、例えば反ユダヤ主義思想を少しでも持っていたりナチに利用された芸術家の成果はすべてすべて否定されるべきなのか?という問いであれば、さすがに、歴史的制約なども含めて相対化して考えるべきで、批判的支店も持つつつワーグナーの音楽を評価し鑑賞するというのは普通だと思うのです。 土井さんはせめてレジNさんの理解とその説明のレベルで何かを言うべきであった。まさに説明不足であって、一方で今回の土井さんの言説で傷ついた人、やはり表に何かを出せなくなった人もいるはずで、全体としてマイナスが大きいといわざるを得ない。これは土井さんの姿勢が真摯だということで免罪されないと思いますね。真摯だからこそたちが悪い部分があるというか。 レジさんのように掬い取れる人は別として、政治的にも悪影響が大きすぎると思います。
一読した時、私は土井さんのメッセージがそんなにひどいとは思わなかった。 KJさんが持ってきている落合氏のツイートはかなり曲解したひどい言い方でないかなぁー。 一つの点は突き詰めて考えれば、 ある人の思想、倫理観、人格といった、そういったようなものがどこまでその人の残した成果物を規定してしまうかという、そういうところの話になり、古くは(私の知る限り)ワーグナーの反ユダヤ主義とその音楽、というような話からあるのではないだろうか。 広河さんのフォトジャーナリストとしての成果物に関して、今までは広河さんは良心の塊の様な人だと思って、そういう目で見るがゆえの評価があったかもしれない。そういう見方は排して、一旦リセットしたところから見直して、それでも広河さんの作品自体の価値は否定できないレベルで存在するというのが、土井さんの言いたいところであろう、とそんな感じで私は理解していた。 気になってもう一回見直してみると、 「...それを成し遂げた氏のジャーナリストとしての精神は...」という様な表記もあり、成果物のみならず、その行動原理・精神といったもところにまで踏み込んで広河さんを防衛しょうとしているような点も確かに見受けられる。 土井さんには大義の防衛をしたいのかもしれないが、作品の中にある大義は防衛できても、それを産む行動原理に関しては峻別して防衛できる範囲外に置くべきであろう。 別の点、広河さんの様な神格化されかねないような権威の近くで仕事をした時、その権威に相矛盾する点を見出した時、それに対して何か行動を起こせるか、そういう事に関して、土井さんが「自分はできなかった」という反省を苦しい言い訳も含めて書いている。 これに関しては、私は自分が土井さんと同じ立場だったら何かできただろうか?と考えると、正直あまりなにもできそうにない自分を感じるので、土井さんは何か文章にして世の中に対して語っている分、むしろ真摯な姿勢を感じてしまう。 「自分ができない事だから批判できない」などというつもりはない。ただ、権威に対して立ち向かう方法論を建設的に開拓していくという、そういう立地点からすると、一方的にひどいとか説得力がないと言ってすますことができるものではないだろう。 とにかく、広河さんへの失望は大きいわけだが、ああいう存在を許してしまう風土というか、そういうものはいたるところにあり、自分もそれとは無縁ではありえないだろう。土井さんは彼なりにそこに向き合って言葉にしたのがあの文章なんだろう。 これから公開されている映画への評論、 http://doi-toshikuni.net/j/fukushima/ の中で、土井さんは広河さんを引用していて、それをそのまま使い続けている。「尊厳ある伝え方」というのは、それを行う本人の人格や思想と切り離して考えることができるのだろうか? 一方でレイプをしながら、他方で「尊厳ある伝え方」を語る、そんな事がありえるのか? 土井さんはそんなところ説明できるのだろうか? あの評論を取り下げて消し去ってしまうことが必ずしも正しいやり方ではないと思って、あの私論を発表しているのだとすると、まだまだ説明不足。
まあ、自分もそうだから反応がなくても仕方がないとは思うけど。 広河隆一の件が許し難いのはともかく (1月15日以降に発売された通販生活にそのまま落合恵子との対談が掲載されているという事態) 土井敏邦の弁明はほんとに最悪だと思うのだが。 そうは思わないのでしょうか??
"信者を、その地位を利用して散々レイプしたりイタズラしてきた神父を、宗教者としては立派だったと言っているようなものだわな。全く説得力はないだろう。" https://twitter.com/yjochi/status/1084647040095682560
久しぶりの投稿でなんなんですが、土井敏邦さん、こりゃいくらなんでもないだろうと。 http://doi-toshikuni.net/j/column/20190111.html
なんなんだろうね? 様子見で書き込んだんだろうかね? まぁ晒しとけばいいかな…?
第77回定例会のご案内 今年の夏はとりわけ猛暑続きでしたが皆様お元気でお過ごしのことと存じます。9月に入り何となく暑さも和らいで来たような感があります。今回の講師は、一般財団法人 日本エネルギー経済研究所参与の十市勉氏にお願いしました。あの東日本大震災から早くも7年以上が経過致しましたが被災者の復帰問題も含め原子力発電所事故の後始末、休止設備の再稼働、廃炉、使用済み燃料の処理など問題は山積しています。国家の存立に不可欠なエネルギー源の大半を海外に頼っている我が国は、長期的なエネルギーの安全保障をどのように確保すべきなのでしょうか? 今回のテーマは当会の講演会ではやや異色とは言えますが、広い意味での国の安全保障の観点から大変興味あるテーマであると思います。 より多くの方にこの貴重な講演にご参加頂きたくご案内申し上げます。 記 1 演 題 「 我が国のエネルギー政策と原子力発電 」 2 講 師: 十市 勉氏 日本エネルギー経済研究所 参与 3 講師略歴: 1968年 ( S 43年)東京大学理学部 地球物理学科 卒業 1973年 ( S 48年)東京大学理学系大学院 地球物理コース博士課程 修了, 同 理学博士 1983年 ( S 58年)米国 マサチューセッツ工科大学(MIT) エネルギー研究所 客員研究員 2006年 (H18年) 専務理事(最高知識責任者) ・首席研究員 2011年 (H23年) 顧問 2017年 (H29年)より参与、現在に至る 著 書:『シェール革命と日本のエネルギー』 (電気新聞ブックス 2013年10月同改訂版、2015年1月) 『実現可能な気候変動対策 -政策・経済・技術・エネルギーのバランス』 (共著、丸善出版 2013年)) 他多数 4 日時 平成30年10月11日(木) 受付開始 午後6時00分~ 開 演 午後6時30分~ 5 場所 銀座 カフェ ジュリエ (Cafe Julliet) 東京都中央区銀座5-13-16東銀座三井ビル1F 03-3543-3151 東京メトロ 東銀座駅4番出口徒歩1分 (東銀座駅出口4番三原橋交差点から昭和通りを歌舞伎座とは反対方向へ54メートル) 6 参加費 2,500円(1,500円の寄付を戴ける場合)、 会員は、2,000円(1,000円の寄付を戴ける場合)、 学生は1,000円、高校生以下は無料です。 講演終了後(午後8時半頃)に軽い懇親会(1時間程度、会費2,000円)を講演会場で行います。 お時間のある方は是非ご参加下さい。 講演会及び懇親会に御参加希望の方は、10月4日(木)までに 原則としてメールにてお申し込みください。 *FAXにてお申し込みの場合はご記入後、切り取らずに本ページを送信して下さい。 10月11日(木)の定例会に参加します。懇親会(出席、欠席)どちらかに○印 ご 芳 名 ご 住 所 電 話 FAX E-mail ★★連絡先★★ NPO法人日本を護る会事務所 FAX:03-3985-1008 e-mail: awake-japan@googlegroups.com ホームページ: http://awake-japan.sakura.ne.jp/
そうなんです。 しかし、もうそんなに経つのか・・・ 震災、原発事故の前なんだよな。
佐藤専務に教えてもらって、2009/11/03の書き込みを見つけました。 合掌。