レジさんWrote; >何やら言葉が新しくなっただけで、特別新しい概念はないような気がするのですがどうでしょう。 確かに、そのとおりだと思います。 20年前にパパラギに書いてあったことと、そんなにかわらない と感じています。 ただ、名前を得たときに力になることはあるような気がします。 たとえば、「障害学」のように。 >それを実現していく方法論がいぜんとして有効なものがないというのも昔から変わってない >ように思います。 それもそのとおりです。 山之内靖さんの岩波新書「ウェーバー入門」は好きな本なのですが、 そこに「転轍機」が働く時期がくることが書かれています。 そんな風に価値観の転換が図られるのかどうか。 小さな取り組みを重ねるしかないという人も著者のなかにはいます。 ま、とりあえず、ぼくは叫び続けるし、歩き続ける、そして疲れたら休む。 それが自己満足であってもいいかなとも、思っています。 こんど、出版記念パーティーをやることになりました。 中村尚司さんがスリランカの平和構築とサブシステンスについて 30分くらい話してくれるそうです。 勝俣誠さんもコメントしてくれるそうです。 7月23日の火曜日の夜。会費は3000円くらい。 興味があったらぼくに連絡してください。 追加 ZIPPさんWrote; >「ダーウィン主義」への逆行 よくわかんないです。
確かに、サブシステンスってわかりにくいですよね。 この概念が本当に有効なのかどうかも自信はありません。 とりあえず、とっかかりとしてどうかと思ったのですが。 日本で一般的になるためには、漢字にしたほうがいいのかもしれません。以下は紹介した「環境を平和学する」からの引用でのサブシステンスの説明です。 ===以下、引用=== 3. サブシステンスにもとづく平和 もともと人類学などで自給自足経済を意味したサブシステンス概念に、本書では次 のような新しい意味あいを込めて用いてきている。 ポランニの影響を受けたウォーラーステインの世界システム論には、中心部が主と して第三世界サブシステンス領域を収奪することにより近代世界システムが成立して きたという理解がある。同じくポランニを源泉とするイヴァン・イリッチおよび玉野 井芳郎らによって、市場経済を相対化しサブシステンスを志向する論も説かれてき た。マリア・ミースらによって、フェミニズムとエコロジーの視角からの「サブシス テンス生産」を基盤にする新しい社会の展望もなされている。 サブシステンスの基本には、第2章で見たように物質代謝(メタボル)としての人間 の生存や自然と人間との循環関係があるだけでなく、人間の生殖(リプロダクション) も当然ながら含まれる。 第1章では、「進化の過程を通じ、人類は自然の循環のなかで永く維持存続が可能 な社会をつくり、生存し続けてきた」ことから、「自然生態系のなかで人間社会を維 持し、再生産していく仕組みがサブシステンス」と説明していた。 人間の本来性、すなわち潜在的実現可能性というものは、放置されて自然に発現す るわけではない。80歳まで生きるはずの新生児が生まれても、放っておかれたらじき に死んでしまう。親・親族・友人・近所の人たち、医療労働者・教育労働者・その 他、周囲のあらゆる人びとが介在し、育み見守っていくことを通じて発育が次第に達 成される。本来性を実現させる人びとの営為の総体とその社会的仕組みとが自然条件 とともに存在し機能することで、本来性は現実のものとなる。そのシステムこそがサ ブシステンスなのだ。 ===引用ここまで=== これは編者の横山さんが4章かどっか(定かでない)に書いたものですが、 ここでの本来性というのは平和学の概念で、本来、80歳まで生きられる人が その可能性(本来性)を奪うのが暴力、というふうな使い方での用法です。 つまり、やみくもな経済成長を求めるありかた(開発パラダイム) から、明確に訣別し、サブシステンスを求める価値観への転換が問 われているということを明確に自覚しなければならない時代に突入 しているように思うのです。 まだまだ、説明したりないとは思うのですが、とりあえずこのくらいに しておきます。 つーた (まあ、あんまり難しいことはわからないし、わかろうとも思わない) (間違ってたら、ごめんって謝ればいいかな。)
そうか、レジさんはサブシステンスを「エコロジー」ととったか…、 ぼくは、そのつーたさんの書き込みでその言葉を知ったのだけど、 それを読んで、「ダーウィン主義」への逆行ではないのか!?と思った のだ。 今年も芦浜通ってます(^^) 先週末現在2頭のウミガメ上陸!
つーたさんの紹介しているサブシステンス、何やら言葉が新しくなっただけで、特別新しい概念はないような気がするのですがどうでしょう。エコロジーという言葉が一般的に社会学的用語として使われるようになったのは、20年くらい前からでしょうか。アンドレ・ゴルツの「エコロジスト宣言」が出たあたりではないかと思うのですが、そもそもエコロジーという言葉で表現されている概念ももっとずっと昔からあったのでしょう。 いずれにしても、そういう考え方には全面的に同意できるのですが、それを実現していく方法論がいぜんとして有効なものがないというのも昔から変わってないように思います。ゴルツは現在の社会を劇的に変えることなくエコロジー共同体を模索することは可能であるという提起を行っていましたが、「可能である」というのと、「その可能性が実社会で追求される」ということの間には大きな距離があるようです。 どこまでも、どこまでも経済発展が続くということはどこかに無理がありそうであるというのは、誰もが感じることでしょう。さらに、その発展の過程で多くを得る人達とほとんど得られない人達が、その差が広がりつつ存在していくことも、多くの人がすでに実感していることでしょう。 しかしながら、まだまだ相当長い間、今のあり方を変えないでもやっていけるのが現実でしょうし、そうし続けようとする勢力が主流派でしょう。 世の中、なかなか変わらないものですね。しかし、中には変わったこともあって、それを書こうと思って、このページを開いたのでした。それを書くのは、また次のメッセージにします。
>>Eggsさん >詩林堂で今度二階の一部屋も借りることになったんで、近く遊びにきなよー。 おひさしぶりですー。シリは名前が変わったんですね。 霧の森からポエムが聞こえてきそうな感じ。 なかなか八王子駅周辺に行く事はないんですが機会があれば是非。 >>KJさん 学校にダイアルアップPPPできるようになって パソコン通信から離れてもう5年ぐらいです。 Googleでは「シャドウパスワード」だったと思います。忘れちゃいました。 サーバーの解説のページですので、裏口から入ったような気分。 恥ずかしながら半年間も無職してます。なかなか仕事が見つからずにだらだらと・・・ >>レジNさん わぁアメリカに住んでるんですか。 シリはもう辞めちゃったのでしょうか? 電車に閉じこめられたの、懐かしいです。 新宿変電所の火災が原因でJRが止まってて、 同時に多摩地区でも大停電で、 翌日、鼻の手術で入院の予定なのに小岩オフでチリビールのんで 病院で下痢してた思い出・・・。 僕も、たまにマイルストーンビルドを触ったりMozillaに興味持っていました。 バグが多くてIEを使っていましたが、1.0は今のところ常用できそう・・・ ATOKでフォームへの書き込みを素早く入力すると、 入力したものが消えたり、変換後に確定したら二重に書き込まれたり する症状にちょっとイラついています。 #バグレポートをするのもいろいろ大変そうで手を出しづらいような感じでして。。。 IEで確認しながら作ったCSSのページが、Mozillaで崩れてしまっていて あわててMozillaでも見れるように修正しました。 <li>のmarginの解釈が、IEとMozillaで違っていまして 双方で同じくする方法は <ul>のpaddingを0にしなければならないと判りました。
IE使わないっていう話でした。 Mozillaっていうのがブラウザだって知りませんでした。 ネスケ4.7*とかいうのを使ってますが、何がいいんでしょ?
つーた@工場労働者・本の行商中 です。 いくつかのMLで書いたので読んだ人もいるかもしれませんが、以下宣伝です。 (以下、障害学MLに書いたものへの訂正版です。) 一昨年の暮れ、別の方面で「サブシステンス」という言葉に出会いました。 それについて環境・平和研究会という平和学関係の人たちの中で少し勉強しています。 いろいろな人がこの言葉をいろんな風に使っているのですが、 とりあえず、サブシステンス=「自然生態系のなかで人間社会を維持し、 再生産していく仕組み」という風に考えています。 さて、 GDPの成長を第一義的な価値にしたり、第三世界はキャッチアップしなければな らないという価値観では地球は続いていかないということは明白になりかけて いるのに地球の大部分の政治を動かす価値観はなかなか変わりません。 いろんなものや人が開発されなければならないというパラダイムはまだまだ 幅をきかせています。 そこで、サブシステンス志向というのが出てくるのです。 地球は開発・発展・成長パラダイムからの離脱を求められている。 そこで違う価値軸としてのサブシステンス志向なのですが、 障害学をそういう観点で位置づけると、無理がなくなるように思うのです。 効率や経済成長を追い求める社会の価値観の中に障害者施策を位置づけると どうしても、きしむものがあるような気がしています。 価値軸をサブシステンス志向(サブシステンス=「自然生態系のなかで人間社会を 維持し再生産していく仕組み」)という風にずらすと、すっきりしてくるのではな いかと思うのです。 物の豊かさや効率ばかりを追い求める社会からの転換が求められているときに、 障害学が主張する価値観は、障害者だけの利害を超えて有用である(なんか自 分の言い方がねじれてる。有用を求めないための有用!)のではないでしょうか? === おまけと言うか、これが書きたくて書き出したのですが、 ぼくがかかわった本の紹介です。 本は学部の学生のテキストになるように作ったものなので、 読むのに専門的な知識はいりません。 戸崎純・横山正樹編、『環境を平和学する! 「持続可能な開発」からサブシステンス志向へ』 法律文化社、2002年6月20日出版(もう出来てます) 2100円 ==以下は、本の帯から== ・環境を平和学すると何かが違って見えてくる ・<開発パラダイム>から<平和パラダイム>への転換に向け、オルタナティブを提言 ・ヨハネスブルグ環境開発サミットへサブシステンスの視点を! ==帯、ここまで== ==以下、「はしがき」から== 本書ではサブシステンス概念を軸に環境問題をとらえて平和学の展開を試みる。か といってこれは平和学の「各論」のひとつには収まりきれない。むしろ平和学のベー スというべきだろう。人を「個」だけでなく「類」として、また「累」(累代=世代 を重ねること)として、共同性と生命連鎖の中に生かし続ける諸条件のすべてがサブ システンスだからだ。 「環境を平和学する!」と、何かが違って見えてくる。 これまでの取り組みのいくつかも、もしかすると見当はずれの方向への努力だった かもしれない。何をなすべきか、いや何をしてはならないか、どこに努力を集中すべ きか、本書をひもときながらともに考えていきたい。 環境問題への取り組みに生命(いのち)を吹き込むもの、それが平和学なのである。 (「はしがき」より) === ぼくの書いたところの出だしも紹介します。今読み返してみると、ぼくの書いたと ころはPP研を中心とした、いろんなところで聞いたこと、そしてそれをきっかけに 読んだことの寄せ集めになっています。以下は校正前のデータです。 ==== 17章「グローバル化」と向きあう人びと 1、はじめに 「もうたくさんだ。」(*1)と宣言して、1994年1月1日にサパティスタは反 乱を開始した。 グローバル化が貧しい人をより貧しくする。飢えや治療可能な病気で命を落とす人は 世界中のさまざまな機関の努力にもかかわらず、再び増え始めている。(*2) 他 方、一握りの経済的に非常に豊かな人に使いきれない富を生みだす。そんな世界にサパ ティスタは「もうたくさんだ」と宣言し闘争を開始した。その日はNAFTA(北米自 由貿易協定)という、新自由主義にもとづく協定が発効した日だった。 近年、とりわけ80年代後半以降、グローバル化の嵐はとどまるところを知らない。 そして、その犠牲が次々に顕在化する中で、それへの抵抗も始動している。この項で は、グローバル化に対抗する運動と、それが表現する問題を紹介する。それが平和学の 実践につながると考える。平和学が提起する積極的平和や不条理な苦痛の除去は理論の みで成立しない。世界中の現場で平和学的な価値を求める多種多様な実践が行われてい る。グローバル化に反対する運動もその一翼である。 読書を読書で、勉強を勉強で終えてほしくない。この世界の中で自分がどこに存在 し、いかなる役割を果たすのかということに自覚的でありたいし、あってほしい。サパ ティスタが言う「もうたくさんだ!」の中身を以下で考える。 =====
つづき ==終章から== 2 平和学アプローチの含意 平和学とは、直接的暴力と間接的・構造的暴力をともに克服していく方法・道筋を探 求することである。公害などの環境破壊は、サブシステンス=「自然生態系のなかで人 間社会を維持し、再生産していく仕組み」に加えられた暴力であり、その結果、サブシ ステンスが本来持つサステイナビリティーが奪われている状態である。(第1章)。し たがって「環境を平和学する」とは、環境問題の解をサブシステンスの永続性の回復に 求めることを意味する。すなわち、サブシステンスに加えられた構造的暴力を含む暴力 の全体性を克服していく道筋を探ることである。 === ==以下、目次== ------------------------ はしがき(横山正樹) 序 章 「サステイナブル・ディベロップメント」を超えて(郭洋春・戸?純) 第1部 環境と開発の平和学 第1章 暴力は本来性(サブシステンス)を奪う(横山) 1. はじめに /2.暴力の不在としての平和 /3.人為的暴力と構造的暴力 /4.不条理な苦痛と暴力 /5.おわりに 第2章 生命系として環境を考える(戸?) 1.はじめに /2.生命系としての自然環境 /3.自然環境と人間社会 /4. サスティナブル・ディベロップメントとパラダイム・シフト 第3章 グローバリゼーションを超える平和学の試み(郭) 1.はじめに /2.グローバリゼーションとは何か /3.今日のグローバリゼー ション /4.グローバリゼーションを超える平和学の試み 第4章 「開発パラダイム」から「平和パラダイム」へ(横山) 1.はじめに /2.グローバリゼーションと開発主義 /3.サブシステンスにもとづ く平和 /4.自力更生と市民連帯のためのエクスポージャー /5.おわりに 第2部 世界をとらえる 第5章 世界経済をとらえる(宮寺卓) 1.はじめに /2.「経済」とは何か? /3.資本主義世界経済 /4.おわりに 第6章 国際政治をとらえる(蓮井誠一郎) 1.はじめに /2.リーダーシップ・サイクル学派 /3.パワー移行学派 /4.平 和達成手段としての覇権安定論 /5.国家優先の安全保障 /6.大国優先の安全保障 /7.九・一一と覇権安定、国家安全保障 /8.おわりに 第7章 現代社会をとらえる(中馬祥子) 1.はじめに /2.現代世界を構成する社会観 /3.現代世界を構成する差別の構 造 /4.現代世界批判に向けて 第3部 生命を平和学する 第8章 平和学から見たリプロダクティブ・ヘルス/ライツ(伊藤美幸) 1.はじめに /2.リプロダクティブ・ヘルス/ライツと自己決定 /3.強いられ た出産・中絶 /4.人口抑制のための避妊 /5.不妊治療 /6.環境汚染による存続 の危機 /7.平和学から見たリプロダクティブ・ヘルス/ライツ 第9章 生殖医療技術の現在 (小川景子) 1.はじめに /2.不妊症治療としての生殖医療技術 /3.第三者を介しての生殖 医療技術 /4.おわりに 第10章 エコ・フェミニズムの現在(中馬) 1.はじめに /2.エコ・フェミニズムとは? /3.エコ・フェミニズムの実践/ 4.エコ・フェミニズムの問題点 第4部 周辺に学ぶ 第11章 巨大資源開発を超えて―フィリピンの現場より―(栗田英幸) 1.はじめに /2.持続可能な開発 /3.開発現場 /4.平和学からの検証 /5. サブシステンスとグローカル・ネットワーク 第12章 熱帯林―海の向こうとと私たち―(山田修) 1.はじめに /2.日本人とコメづくり /3.環境に依存する農林水産業 /4.環 境的危機にさらされる東南アジア /5.危機の認識と警告 /6.生活に忍び寄る環境 的危機 /7.私たちの社会の問題性 /8.私たちはどのに向かうのか 第13章 フィリピン・バナナ村の歩み(伊藤) 1.バナナの民衆交易 /2.失敗の原因 /3.暴力の所在 第14章 人間関係の危機(草島豊) 1.「傷つけたくない、傷つきたくない」―友人との関係性― /2.人を測るもの さし―人間の数値化と商品化― /3.人間関係におけるサブシステンス /4.「闇の 中の光」求めることから気付いていくことへ 第5部 世界を変える 第15章 平和NGO(蓮井・秋山祐子) 1.平和概念、サブシステンスと核兵器 /2.増え続けた核兵器 /3.蔓延する核 依存症 /4.核を必要としない国際関係とNGO /5.平和NGOと開発パラダイム /6.平和NGOピースデポ 第16章 国際協力NGO(戸?) 1.はじめに /2.現代世界とNGO /3.NGOとサブシステンス /4.NGO が示す世界/ 第17章 「グローバル化」と向きあう人々(鶴田雅英) 1.はじめに /2.グローバル化とは? /3.サパティスタ /4.シアトル以前、 シアトル以降 /5.問い直されるNGOの役割―「関与・参加」か「反関与」(解 体)か?― /6.九月一一日 終 章 サブシステンスと世界システム(戸?) 1.はじめに /2.平和学アプローチの合意 /3.サブシステンスと世界システム /4.世界システムを超えて 参考文献/索 引/執筆者紹介 ------------------------------------------- つるたまさひで (疲れたら休む)
私は、Mozillaは0.9いくつのVersion(一年くらいまえかな?)で使い始めたのですが、その時は遅いしバグも多いしで、「これが改良されてもそこそこまでしかいかないのではないか。所詮はIEに取って代わることはできないのか。」と絶望的な気がしたのですが、1.0になって本当に見違えるようになってくれました。 しかし、ハイテク系の会社でもどっぷりMSに使っているところは、なかなか他のソフトには移れないみたいで、うちの会社ではMozillaに乗り換えたのは私だけみたいです。たぶんDESKTOP機の世界では当分少数の好きものだけがIE以外を使うという状況が続くのでしょう。しかし、組み込み機の世界になると、MSにライセンス料を払わなくてすむメリットは大きいでしょうから、まだまだMS以外のプロダクトにもチャンスはあると見ているのですが、どうでしょう? 自宅にWireless Lanを設定したので、パティオで優雅にパソコンを使っていたら、即座にバッテリ不足でスタンバイモードに入れられてしまいました。しょうがなく長い延長ケーブルを持ってきてAC電源につなぎましたが、これではせっかくのWireless Lanが台無しです。このノートパソコンLinuxで使っていたときは2時間近くはバッテリで使えたのに、CannonのScannerのドライバがないのでしょうがなくWindowsにしたら、このありさま。もちろん、Windowsが悪いと決まったわけではないのですが、MSの独占の結果ゆえにOSを乗り換えさせられて恨みもあって、なにげにWindowsを責めたくなります。
私は、最初に使ったブラウザがmosaic(win3.1版)だったこともあって、IEをメインで使ったことはありませんです(今のところは、ネスケ)。 で、私が奇異に思うのは、私企業ならともかく、「一企業に特別な肩入れをしてはならない」はずの政府機関や地方公共団体のページまで「IE依存」している場合があることですね。多分、担当者がボケてるか、そういう感覚がないかのどちらかなんでしょうけど。 それどころか、昨今流行の「電子自治体」とか「電子申請」においても、何だか「IE依存」ってことになりそうです(言い訳としては、電子認証の部分の問題なんだそうですが)。また、「IE依存」は何とかするとしても、まず間違いなく「windows依存」にはなるみたいです(要するに、MACやら、インターネットTVやらは対象外ってことで)。 そう言えば、数日前の朝日新聞だかに、「メールによるウィルス感染を避ける方法」みたいな話があったのですが、そこには「アウトルックエクスプレスを使わない」という方法は書かれていませんでした、とさ。